労働保険事務組合制度の沿革
- 昭和33年 失業保険事務組合制度の創設による失業保険の加入促進
労働保険事務組合制度は、中小零細事業場の労働保険事務を事業主団体でまとめて処理しようとするものですが、その原型は、昭和33年10月の失業保険法の改正によって創設された失業保険事務組合制度に見られます。
当時失業保険においては、労働者5人未満の事業場は任意適用とされていたため、それらの零細事業場の労働者の失業保障に制度的問題が指摘され、その解決の一つの手法として事業主団体による集団加入方式が採用されることとなりました。これが「失業保険事務組合制度」ですが、この制度の創設により、事業協同組合等の事業主団体が、労働大臣の認可(認可の権限は、都道府県知事に委任。)を受けて、その団体の構成員である事業主に代わって、被保険者資格得喪の届出、保険料の申告・納付等失業保険に関する事務処理(日雇い労働者に関する事務を除きます。)を行うことができるようになり、労働者5人未満の零細事業場を中心に失業保険の加入促進が図られました。
一方、労災保険においては、従来は一時金であった障害補償、遺族補償について、「必要な期間、必要な補償を行う」との観点から年金制度が取り入れられました。しかし、労災保険では、労働災害の発生度合いの高い建設業、林業などは、事業規模を問わず強制適用とされていましたが、製造業では労働者5人未満の事業場が、また、労働災害の発生度合いが低い事業所などは規模を問わずすべての事業場が任意適用とされていました。そのため、労災保険に加入していない事業場で労働災害に遭遇した労働者は、労働基準法の災害補償によることとなりますが、これは一時金による補償であるため、年金制度を導入した労災保険加入事業場と災害補償において大きな格差が生ずることとなりました。そのため、すべての事業場の労災保険加入が要請されることになり、これが後の労災保険の全面適用に繋がっていくのですが、それまでの間は、労災保険の任意適用事業場について加入促進で対応することとされました。
- 昭和40年 労災保険事務組合制度の創設による労災保険の加入促進
このような背景の下、労災保険給付の年金化を図ることとした労災保険法の改正に併せて、昭和40年11月から失業保険事務組合制度に準じた「労災保険事務組合制度」が創設されました。これにより、事業協同組合等の事業主団体が、労働大臣認可(認可は、都道府県労働基準局長が専決処理。)を受けて、その団体の構成員である事業主の委託を受けて、労災保険の適用手続き、保険料の申告・納付の事務処理を行うことができるようになり、任意適用とされていた中小零細事業場を中心に労災保険の加入促進が図られました。
- 昭和47年 労働保険の保険料の徴収等に関する法律の施行と労働保険事務組合制度の誕生
このような経過を経て、失業保険事務組合と労災保険事務組合制度が創設されましたが、それぞれの創設時の課題に対処するため、全国的に事務組合の設立とそれによる中小零細事業場の集団加入が強力に進められました。そして、失業保険と労災保険の全面適用を視野に置く中で両保険適用徴収業務の一元化を定めた「労働保険の保険料の徴収等に関する法律(昭和44年法律第8号)」が昭和47年4月1日に施行され、失業保険事務組合制度と労災保険事務組合制度が統合され、現在の「労働保険事務組合制度」が誕生することになりました。
そして、昭和50年4月から労働保険の全面適用が実施されることとなりました。
労働保険事務組合制度は、まさにこの全面適用を支える柱として機能することが期待されることとなりましたが、これは、その制度創設にあたって課題である「保険適用が行政的手法では困難な小零細事業場を中心とする適用促進」に通ずるものであり、このことによりとかく社会保障では軽視されがちな小零細事業場の労働者の保護に資することとなるとの考えと併せて、以後の労働保険事務組合活動を支える理念となりました。